内向型人間の時代を読みました。

こんにちは、JAGA(@ja_gaimopotato)です。
先日、読んだ野蛮人の読書術で紹介されていた“内向型人間の時代”を読みました。

いつからか外向型を理想とする社会になってしまって、内向型である自分を偽りながら生きている人へのメッセージがこの本にはたくさんありました。

無理に、外向型になろうとしなくていいよということです。

本来、内向型である人は多数いるようなのです。
(半分近くの人が内向型という話が本書では出てきます。)

現在の社会の様に外向型の人間が良しとされ、内向型を隠しながら生きている人たちがたくさんいるのだとしたら、本書はきっと内向型の人に対する視点を持つ良いキッカケになるでしょう。

性格の文化が始まった

「性格の文化」とはつまり、他人が自分をどう見るかが重要視される文化のことです。
経済が発展し、見知らぬ人と働くことが普通になったことで自分を表現し、演技し好印象を持ってもらう必要があったからです。

そして、それを上手くできる人が評価される社会が発展しました。
本来は、外向型の得意分野であった、それらを内向型の人間も身につける必要が出てきました。

劣等感という言葉で、同じように社会が必要としている様に振る舞わなければならないと強制されるようになりました。

(P.7) 多くの内向型がそれを自分自身にまで隠しているのには、それなりの理由がある。
私たちは、外向型の人聞を理想とする価値観のなかで暮らしている。
つまり、社交的でつねに先頭に立ちスポットライトを浴びてこそ快適でいられる、そんな自己を持つことが理想だと、多くの人が信じているのだ。

(P.35,36) 新しい経済は、セールスマンという新しい種類の人材を必要とした。
つまり、そんなある日、いつも笑顔で、握手がうまく、同僚と仲良くしながらも出し抜くことができる、社交的で口のうまい人間だ。

(P.44) 物怖じしないように見えることをとりわけ重要視したのは、「劣等感」と呼ばれる心理学の新しい概念だった。
今では一般によく知られているこの概念は、1920年代にウィーン出身の心理学者アルフレッドアドラーが、自分が劣っているという感覚と、それがもたらす結果を表現するために命名したものだ

(P.51) 自分が内気だと思っているアメリカ人は1970年代には40%だったが、90年代には50%に増えた。
おそらく、自己表現の標準がますます大胆になるなかで自分を評価するせいだろう。

内向型は必要な存在

人間や他の動物も高反応の「慎重に様子を見るタイプ」と低反応の「行動あるのみタイプ」とに別れるそうです。
生まれた時から先天的にそういった気質は決まっていて、脳の反応が違うのです。

(P.128,129) 生後四ヵ月の赤ん坊に慎重に選んだいくつかの新しい体験をさせた。
録音した声を聞かせたり、色鮮やかなモビールを見せたり、先端をアルコールに浸した綿棒を嘆がせたりしたのだ。
それらの未知の体験に対して、赤ん坊たちはそれぞれに反応した。全体の約20%は元気よく泣いて、手足をばたつかせた。
このグループを「高反応」と呼んだ。
約40%は静かで落ち着いたままで、時々手足を動かすものの、さほど大きな動きではなかった。
(中略)
モビールを見て盛大に手足を動かして騒いだ20%の「高反応」の赤ん坊の多くは、思慮深く慎重な性格に成長した。
激しく反応しなかった「低反応」の赤ん坊は、大らかで自信家の性格に成長している例が多かった。

動物の群れだって、慎重な個体が注意を払い生き延びる可能性を高め、大胆な個体が新しい寝床を発見するわけですから、お互い必要だということです。
それはそうと、あの人はどうなのかな?とか想像してみると面白いですね。

内向型のコミュニケーション

今の社会に合わせて自分では気がつかないけれど、本来内向型の人であれば、きっと疲れることが多いでしょう。
そういったときは休憩しましょう。
本書でも、一人になって充電することがどれだけ大切かを説いています。

外向型の人は、内向型の人のペースを少しだけ理解しましょう。
きっと、消極的なわけではないのです。
一人の時間が大事だと分かってあげましょう。

ぼく自身も、一人の時間がとても好きですしそういった傾向があるのかもしれません。

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